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W-ZERO3 短歌的活用術「モバイル日記297」
安積皇子と橘諸兄の墓紀行

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2015年10月25日(日)
安積皇子と橘諸兄の墓紀行


みなさま、ごきげんよう!
Nexus5XとNexus6Pが発表されて地味に盛り上がてる巷ですが、わが家の旧型Nexus6にも昨夜、最新OSのAndroid6.0へのアップグレードが降りてきました(≧▽≦)
というわけでさっそくアップグレード。


わが家の旧型Nexus6にも昨夜、最新OSのAndroid6.0へのアップグレードが降りてきました^^
というわけでさっそくアップグレード。
ファイルダウンロード後の再起動(シャットダウン)がいつまで経っても終わらないのでちょっとあせってしまいましたが、五分ほど待っていたら無事再起動して最新バージョンのAndroid6.0へアップグレードしました。

まあ、アップグレードしたといっても大した変化はなくて拍子抜けな感じもしましたが、セキュリティー面などを考えるとやっぱりいち早く最新OSへのアップグレード対応されるNexusシリーズには価値があるかも知れませんね。



というわけで、最新OSになって見た目もかっこよくなった(←いや、見た目は変わらないか…)Nexus6を連れて、今日は京都まで万葉集関連の資料集めに車で走ってきました(・∀・)

本日の行先は、京都府南部の和束町にある安積皇子(あさかのみこ)のお墓と、井手町にある橘諸兄(たちばなのもろえ)のお墓です。
お供はNexus6の他に写真撮影用のこちらも旧型のNexus5。

安積皇子のお墓のある和束町は以前、何度か来たことがある恭仁京跡の近くということで簡単にたどり着けるだろうと油断してたのですが…
地図で見るよりもはるかに深い山道をぐねぐねと曲がりながらなんとかたどり着けました^^;
途中、ほんとに道に迷ったかと思うぐらいでした。


山の中をぐるぐると回って完全に迷子になったかと思ったときに、目の前に安積皇子の墓らしきものが見えてきました!
地図で見たときには恭仁京跡のすぐそばに感じましたが、実際にはかなり深い山の中を越えた先にありました。
(近くに駐車場がなかったのでぐるぐると走り回ってなんとか駐車できる空き地を見つけて駐車。)



入り口付近に「安積親王陵墓」と案内板がありました。



こんな茶畑の中の坂道を登って行きます。



安積皇子陵墓の参道。
左右は茶畑になっています。



「聖武天皇皇子安積親王和束墓」

安積皇子は聖武天皇の皇子で、皇太子になる可能性もあった有力な皇子でしたが、天皇の難波行幸の途中で脚気になって恭仁京に引き返した後に突如亡くなりました。
一説によると朝廷の権力を牛耳りたい藤原仲麻呂によって暗殺されたともいいますが真偽のほどは不明です。



小さな陵墓ですが宮内庁によって綺麗に管理されています。
早世した皇子のお墓らしい静かな雰囲気が素敵ですね。



陵墓の前の休憩用のベンチでどんぐりとNexus6を記念撮影。



しばらく休憩した後、長閑な和束の地を後にしました。



無事に安積皇子の墓にもたどり着けたので、次は橘諸兄の墓のある井手地区を目指します。
恭仁京跡前を通て一旦、24号線に戻って北上。
事前にネットで地図を入手しておいたので、とりあえずの目印の井手町役場を目指します。

思っていたより距離がありましたが、なんとか井手町役場を見つけて井出の町の中に入って行きます。
途中、何度か迷いながらも井手小学校の東横の道(信号のある三叉路)を東に進んで行くと、地図の目印にもあった浄水場前に出ました。


井手町の浄水場。



浄水場前にこんな案内板があるので「橘諸兄公旧跡」への矢印の先を目指します。



車でだと浄水場から数十秒ほどでこんな場所に到着。



「橘諸兄公旧跡」への案内の石碑に従って進みます。



こんな竹藪の横の砂利道を進んで行きます。
(歩いても十五分ほどの距離ですが、今回は時間がないので車で^^;)



しばらく進むとこのような場所にたどり着きます。
(荒地ですがすぐ前に車を停められるスペースもありました。)



「橘諸兄公旧跡参道」。
一見、長い参道のようにも見えますが、実際には写真上の階段の曲がった先のすぐに橘諸兄の墓があります。



参道の階段を上るとすぐにこんな場所に出ます。



こちらが橘諸兄の墓。
まあ実際には橘諸兄がどこに葬られたのかは不明なようで、このお墓は橘諸兄の宮のあった井手町の古墳に供養塔とともに祀られているだけのものですが^^;
ただ、熱心なファンがいるようで、こんな僻地だというのにこの日も真新しい献花が三つほど挙げられていました。



橘諸兄公由緒。

橘諸兄(たちばなのもろえ)は、もともとは敏達天皇の子孫で皇族でしたが、後に橘の姓を賜って臣下に下りました。
その後、臣下の最高位である左大臣に昇進し、藤原四兄弟が天然痘でつぎつぎに亡くなった後の朝廷を主導していった人物です。



こちらは橘諸兄の供養塔。



例によって休憩用の石ベンチの上でNexus6を記念撮影。



参道の石畳をバックに記念撮影。



もひとつ記念撮影(≧▽≦)

この後、一度井手小学校前まで戻って小学校の東の道を南下。
JR奈良線の踏切前を東に曲がって橘諸兄のもうひとつの供養塔のある「地福寺」にも行ってきました。
ただ、残念ながら地福寺は門が閉まっていて参拝できなかったので、そこから徒歩で五分ほど北に歩いて橘諸兄の玉井頓宮(仮の宮)跡の六角井戸へ向かいました。



地福寺から徒歩で五分ほどのところにある六角井戸。
この近くにはその昔、橘諸兄の玉井頓宮(仮の宮)があったとされ、聖武天皇も何度か行幸されたそうです。



六角井戸の解説。



井戸の中を覗いてみたところ、現在ではもう水が枯れてしまっているようでした。



こちらは六角井戸横にある橘諸兄の万葉歌碑。
「葎はふ賤しきやども大君の座さむと知らば玉敷かましを」



短歌の解説。



歌碑の前でNexus6を記念撮影。
地元のおばあさんがあやしげな眼で見ていますが気にしない気にしない^^

そんなこんなで、目的の万葉資料もほぼ集め終えてなんとも楽しい一日でした。
ではでは、持ち歩いてこそのモバイル端末。
せっかくのよい気候なので、みなさんもぜひ愛機を片手に秋の町の散歩にでも出かけてみてくださいね〜〜
今回もこの辺で。



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