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W-ZERO3 短歌的活用術「モバイル日記407」
得名津探訪2021
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2021年12月1(水)
得名津探訪2021


みなさん、いかがお過ごしでしょうか(≧▽≦)
はやいもので、今年ももう十二月になってしまいましたね。
猛威を振るった新型コロナもどういうわけか日本では落ち着きを見せていますが、それでもさすがに今年も忘年会などは自粛せざるを得ないのかな。

さてさて、そんな師走の初日に、今日はちょっと訳あって大阪方面までお出かけしてきました。
いや、遊びに行った訳ではなく、副業で入っている会社の親会社から社内賞(べつにそんな賞をもらうほど大したことをしたわけではないです^^;)をやるから来て頂戴って言われたもので…

コロナが小康状態とは言え、電車で大阪まで行くのは不安だったのですが、まあ、親会社からの呼び出しじゃあ仕方がない(・∀・)
ついでに時間があったらかねてから行きたかった住吉区にある得名津(えなつ)跡の取材もしてこようと、ひさしぶりに電車に乗って出掛けてきました。


てな訳で、ひさしぶりにやってきた大阪難波の地下街で、うどん王さんのカレーうどんを食べて腹ごしらえ。
今回食べたカレーうどんも美味しかったですが、メニューにあったとろろうどんも美味しそうなので、夏になったらまた冷で食べに来たいなあ〜〜

ちなみに、このモバイル日記でおなじみだったとんかつ屋さんの豚晴さんは、一年ほど前にコロナが原因で閉店したそうです(;´Д`)
まさかこんな感じで、僕にもコロナの影響があるとは思ってもみませんでした。
豚晴さんのコンビ定食美味しかったんでほんとに残念。。



カレーうどんも食べてお腹がいっぱいになったので、集合場所のビルに向かって難波の地下を進みます。
自動で動く歩道をバックにGPD MicroPCを記念撮影。
そういえば遠い昔、短歌友達たちとみんなでこの動く歩道に乗ったなあ〜〜

その後、集合場所のビルがなかなか見つからなくて散々迷ってしまいましたが、はやめに家を出ていたおかげで何とか集合時間前に到着して、親会社の社内誌に載せる写真撮影などをしてもらいました。
お化粧したり、ポーズをとったり、水着に着替えたり…
いや、水着には着替えなかったか。。

まるでグラビアモデルのような気分を体験させてもらいましたが、想像していたのとは違って社内賞の授賞式や賞与などは一切なく、ただ単に写真撮影だけして終わりでした(;´Д`)
なにせ初めてのことで、うちの会社の上役たちもどんなことをするのかまったくわかってなかったようですが、これであとで賞与とか貰えなかったら交通費が丸々損ですやん…
まあ、いいけど。

一応、社内誌だけでなく、僕の写真が親会社の本社のロビーにも一年間ほど飾られるそうです( ̄▽ ̄)

そんなこんなで、仕事の予定も無事に終わって、まだまだ時間に余裕があったので、この後、予定通りに住吉区の杉本町まで万葉集の史跡探訪に向かうことにしました。



大阪難波から、阪和線に乗って杉本町駅に到着。

じつは、一年ほど前に、住吉区にお住まいの方から万葉集に詠われている得名津のあった榎津寺の跡地が遠里小野町にあるとの情報提供をいただき、一度取材に来たいと思っていたのです(≧▽≦)
ただ、その後、コロナが大流行してとても大阪には足を運べる状態ではなくなってしまったので、今日ようやくの訪問となりました。

情報提供して下さった方のお話では、この杉本町駅の近くの 遠里小野町にある大阪府の供給公社の建て替え工事中に榎津寺の遺跡が発掘されたのだそうです。

高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌一首
住吉(すみのえ)の得名津(えなつ)に立ちて見渡せば武庫(むこ)の泊(とまり)ゆ出(い)づる船人(ふなびと)  巻三(二八三)

訳;住吉の得名津に立って見渡すと、いましも武庫の港から出航してゆく船人よ。



Googleマップを頼りに歩いて写真のような場所に到着。
ここは大阪府の供給公社、OPH杉本町へ入っていく通路(少しわかりにくい場所にありますが、JR杉本町駅から歩いて十分ほどの場所です)で、この先にある供給公社、OPH杉本町の周辺から榎津寺跡が発掘されたのだとか。



上の写真のOPH杉本町へと入ってゆく通路の入口付近に、榎津寺跡の解説プレートがありました。



飛鳥時代後半から平安時代中ごろに、この地に「榎津寺(えなつでら)」あるいは「朴津寺(えなつでら)」と記される大寺院が存在したとのこと。



供給公社の建て替え時に、この解説版の写真のような大量の古代瓦が出土したそうです。



こちらが大阪府の供給公社、OPH杉本町。
このOPH杉本町の建て替え工事の掘削で、榎津寺の遺跡が出土したのだそうです。



OPH杉本町の裏側に回ると大和川が流れており、その向こうに兵庫県の六甲山が見えています。
監視カメラの死角を選んで柵の側まで行ってみます(って、完全に不審者やん。。)



OPH杉本町の柵越しに兵庫方面(武庫)を眺めた写真。
住吉津がメインの船着き場としたら江名津は第二の船着き場だったとのこと。
見晴らしの良いこの地は防人を置いた警備の山でもあったのだそうです。



拡大写真。
奥に見えるのが兵庫県の六甲山(武庫の地)。
現在では手前に建物が立って大阪湾の海は見えませんが、万葉の時代には大和川も現在のように整備されておらず、きっと海ももっと近くまで来ていたのでしょう。

また、得名津の地あたりは標高12メートルの場所にあるそうで、高市黒人は榎津寺の楼閣から武庫の港を眺めたようなので、この写真よりももっと見晴らしがよかったかと思います。
この時期は日が暮れるのが早くて得名津の写真撮影にも苦労しました^^;



得名津の写真撮影も済ませて、最後に「榎津寺跡」のプレートをバックにGPD MicroPCを記念撮影(・∀・)
杉本町駅に戻って、おうちに帰ることにします。



電車の待ち時間に杉本町駅でもGPD MicroPCを記念撮影。
(JKとか電車待ちの他の乗客から冷たい目で見られますが気にしない気にしない)。



散々歩き疲れてお腹も減ったので、この後、大和高田駅前の商業施設トナリエにあるとんかつ屋「かつ喜」さんで晩ご飯を食べて帰りました(≧▽≦)
って、豚晴さんがなくなってもけっきょく食べるんかい、とんかつ(笑)

お昼にあれだけカレーうどんを食べたのに、夜にもこれだけ食べる自分がちょっと怖かったりします。
さらにこの後、ミスタードーナツでドーナツ四つも買って食べたことは内緒です(汗。。

そんなこんなで、仕事の都合のおかげでひさしぶりに大阪にも行けて、念願の得名津の取材も堪能してなかなかに楽しい一日でした。
ではでは、持ち歩いてこそのモバイル端末。
みなさんもどうぞ、コロナ予防をしっかりとして愛機を片手にモバイルライフを楽しんでくださいね〜〜
今回もこの辺で♪



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