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W-ZERO3 短歌的活用術「モバイル日記119」
恭仁宮跡
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2010年9月18(土)
恭仁宮跡
今回はめずらしく一日に二度の更新です^^
と言っても、前回の日記は日付がかわってすぐにアップしたものなので時間的にはほとんど丸一日経ってますけど…
さてさて、今日はひさしぶりに休みが取れたので、ちょっと車を走らせて京都府木津市にある恭仁宮跡(くにきゅうせき)に行って来ました。
(ちなみに今回もモバイルとはほとんど関係のない内容だったりします)
今年は平城遷都1300年祭で奈良の平城宮跡が話題ですが、聖武天皇が平城京から一時都を移したのがこの恭仁京なのです。
ただし5年ほどですぐにまた都は平城京に戻されたのであまり話題になることもすくない都なのですが、それゆえに歴史ファンにとってはたまらなく魅力的な場所のひとつでもあります(笑)
さて、まずは京都方面に向かって車を走らせるとしましょう^^
奈良から国道24号線を北上して京都市に入ってすぐに交差する163号線を東に木津川沿いを進めば恭仁宮跡に到着。
今日は土曜日のためか道路がけっこう混雑していました。
こちらは恭仁小学校。
今時めずらしい木造校舎の風情のある小学校です。
恭仁宮跡はこの小学校の裏にあります。
恭仁小学校の南前でも発掘調査がされていました。
さてさて、恭仁小学校の東横を通って裏にまわると…
そこが恭仁京大極殿跡です。
恭仁京大極殿址。
ちなみに恭仁京の大極殿は、平城京にあった大極殿を移築したので現在復元されている平城宮跡の第一次大極殿のような建物だったそうです。
恭仁京大極殿跡。
こちらは恭仁京から都が平城京に戻った後にここに出来た山城国分寺の址。
恭仁京はわずか5年ほどでふたたび都が平城京に戻されたために、この大極殿の後は山城国分寺として使われたそうです。
他にもなにやら曰くのありそうな石柱が並んでいました。
おそらくすべて山城国分寺の境内にあったものなのでしょう。
こちらは観音堂かな?
当時の山城国分寺と関係があるのかどうかは分かりませんが…
そして観音堂の向こうになにやら倒れているあれは…
噂の横倒し恭仁宮大極殿址石柱でした^^;
ずっと以前から倒れたままになっているそうですが、ほんとに木津市はどうして立て直さないのでしょうね。
まあ、せっかくなんでLYNX SH-10Bを置いて記念撮影(笑)
ちなみに今回の写真はすべてHYBRID W-ZERO3で撮影しました。
さて、大極殿址の見物が済んだら再び恭仁小学校の東側にまわります。
奇麗な小川を渡ると…
こちらには山城国分寺の鎮守杜としてまつられていた御霊神社跡があります。
史跡山城国分寺跡の石柱と当時の敷石
国分寺跡となっていますが、たぶん鎮守杜の御霊神社の敷石なのでしょう。
こんな解説板が立っていました。
(なぜかこの解説版も斜めに傾いていました^^;)
そんなこんなで一度来てみたかった恭仁宮跡ですが、なんだかのどかな素敵な場所で、仕事で疲れた心が癒やされました(笑)
ではでは、みなさんもこの週末はモバイル機器片手にぜひどこかにお出かけでもしてみて下さいね〜〜
今回もこの辺で。
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